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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

キング・ダイアモンド 【メタルハマー・ジャパンVol.2より】

long live the king
~キングよ、永遠なれ

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 スラッシュ・メタルからデス、ブラック、ゴシックまで、現代の主流メタル・スタイルを生み出すための確かな源流のひとつとなるのが、デンマーク出身のミュージシャン、キング・ダイアモンドが作りあげた音楽群だ。[ラウドパーク2013]での出演キャンセルにも表われているように、残念ながらここ日本で彼のサウンドと接する機会は稀少ではあるが、欧米圏では今もって強い影響力を持ち、また新作が期待されるバンドのひとつである。
Text by Steve Appleford Photo by Travis Shinn Interpretation by Tommy Morly Original by 『METAL HAMMER』331

 

ニュー・アルバムには
自分たちもかなりの期待をかけている。

 ロサンゼルスの古いアール・デコ調の劇場の地下にて、キング・ダイアモンドの名で知られているその男は穏やかで奇妙なオーラを纏い、ミステリアスでゴシックなエレガンスさをも持ち合わせていた。悪魔的フェイス・ペイントとトップ・ハットでドレスアップした姿の彼は少ない口数で語る。VIPとして参加した数名のファンたちはこのアイコン的なシンガーとバンドと会うために整列しているが、少し緊張気味でもあった。

 キング・ダイアモンド——本名キム・ベンディックス・ピーターソン(Kim Bendix Petersen)——は、アメリカ国内を回る23本のライヴ・ツアー日程の終盤に差しかかり、40年になろうとする自身のキャリアの楽曲をときに叫び、悲鳴のような雄叫びで披露する。そしてダイアモンドにとって、一般的にミート・アンド・グリートと呼ばれているファンとの触れ合いを初めて行なったショウでもある。彼はソロ・アーティスト、そして非常に大きな影響力を持つバンドであるマーシフル・フェイトの数オクターヴもの声域の持ち主として、メタルに忠実であり続けた。ファンとの写真撮影やプレゼントの手渡しといった交流を行なう際の振る舞いには、どことなく極端かつ大袈裟な姿が見られる。

 “あなたに会えて光栄です”と言いながらダイアモンドと握手をする男性ファンを、ガッ!と衝動的にハグする。その一方で極度の緊張から目を合わせようとしないファンには温かく微笑み、その眼の淵は黒く塗られている。ミスフィッツのTシャツを着て、脚にタトゥーが刻まれた女性はその太腿にサインを願い出た。

 多くのファンにとってダイアモンドはメタルの歴史を語るうえで欠かせない重要人物で、メタリカを始めとしたさまざまな世代のミュージシャンたちに影響を与えてきたのである。しかしステージを降りれば、このシンガーは現在から近未来を見据えていて、今世紀における迫りくる自身の黄金期に照準を合わせている。キング・ダイアモンドとしての新作が今年予定される一方、マーシフル・フェイトは再結成し、ヨーロッパの夏フェスを回り、20年振りのアルバム制作も計画している。

 キング・ダイアモンドの次のアルバムは自身の頭のなかでは何年も構想が練られており、“神秘的でクールなものになるだろう。このアルバムには自分たちもかなりの期待をかけている”と語る。彼のライヴはシアトリカルな演出で知られており、拷問やショック療法といったものを取り入れている。曰く“けっこう気持ち悪いところもあるが、ストーリーを展開するうえではかなりクールなんだ”

 ニュー・アルバムのサウンドや方向性についての最初のヒントは、アメリカ・ツアーの始まりとともに「Masquerade Of Madness」として披露された。アートワークでは鉄仮面を被ったツイン・テールの女の子が収容施設に入れられていて、ギタリストであるアンディー・ラロックとマイク・ウィードが刻むリフによってサウンドは彩られている。[There is a girl in misery(悲惨な状況の女の子がいる)/ And insanity(狂気のなかに)/ Painting figures on her walls(壁に人の姿を描いている)/ Those voodoo dolls(黒魔術の人形を)]とダイアモンドは泣き叫ぶかのように歌う。

 現段階では『The Institute』というタイトルがつけられている当アルバムのほかの収録曲では、彼が古い写真で目にしてきた20世紀初頭の精神治療病棟の収容者たちの姿からインスパイアを受けている。また彼自身の、2010年に心疾患に関する3度のバイパス手術を受けたのちの臨死体験からも影響を受けているそうだ。

 病院で経験した医者とのやり取りは良好ではあったが、その経験はトラウマとして残っている。胸郭を切開した大手術の結果、ツアーからの長期離脱をせざるを得なかった。特に手術直後の数日間は彼にとってハードな日々の連続であった。

 “私はほぼ死体のように見えていたはずだ。本当だよ。私の手と顔は白くて、体全体が浜辺に打ち上げられた死体のような感じだったね。体は青、黒、茶色が混ざったような色になり、コップ一杯の水ですら持ち上げられなかったんだから”

 治療を受けていた間、ダイアモンドは手術中に自身が死んでしまい、現在の意識を持った自分は、ハンガリー生まれの歌手である妻のリヴィア・ジータを求めてさまよう亡霊なのではと感じていた。実際彼は部屋にいたのだろうか? ダイアモンドは妻の肩を急につかんだり、手を振り上げて部屋にいることをアピールしたこともあったという。“とてもヘンな感じだったよ。自分は存在していないんじゃないかと感じたくらいだったね”と顔を歪めながら振り返る。“もし死んでいるのなら、どうしてまだここにいるのだろうか?という感じでね”

 6ヵ月後、ダイアモンドはバンドとクルーとの最初のミーティングを行なった。心臓の手術を受ける直前に禁煙をしていたおかげで、肺が新たなエネルギーを得ていたことに衝撃を受け、その効果は現在も続いている。“今は最高の状態の声をキープしている”と語る。

youtu.be

 しかしこの冬には悲しい報せも届いた。ダイアモンドがバンドとともにロードに出ていた際に、マーシフル・フェイトのベーシストであったティミ・ハンセンの訃報が入ってきたのだ。かつてのコラボレーターでありツアー先でのルームメイトでもあった仲間が、2020年の再結成に参加することを彼は願っていた。ティミが抱えていた癌は一度回復の兆しを見せたが、その1ヵ月後に容態は急変した。

 “事態は本当に大きく変わり、次第に彼は助からないかもしれないと感じるようになった。しかし彼に話しかけるときはいつも「君の場所はいつも空けてある。バンドのことで一切ストレスを感じないでほしい。君のポジションは君のもので、具合が良くなったらいつでも戻ってきてくれていいんだから」と伝えていたよ”

 ティミが死去するわずか10日前にもふたりは電話で連絡を取っていた。“彼は私のフェイバリット・ベーシストのひりとだった。彼のプレイ・スタイルにはユーライア・ヒープのゲイリー・セインやブラック・サバスのギーザー・バトラーによく似た、タッチや個性が存在していたんだ。アメイジングなベーシストたちに通ずるものが彼には備わっていたんだよ”

 

初めてブラック・サバスを聴いたときは
美しい瞬間のように感じたよ。

 ロサンゼルスでのコンサートの前夜、ダイアモンドは同地で行なわれたスレイヤーの最後のコンサートに足を運んでいた。スレイヤーはスラッシュ・メタルのオリジネイターであり、ダイアモンドとマーシフル・フェイトに多大な影響を受けたと公言している。彼は同朋、そしてファンとして、まだ幼い息子バイロンとともにイングルウッドのザ・フォーラムへ足を運んだのだ。“息子はまだ3歳になろうとしている頃で、彼にとって初めてのコンサートとなった。最初の4曲を観て、口があんぐりという感じで驚いていたよ”と、父として誇らしげに話す。

 多くのファンがこの特別なソールド・アウトのショウに複雑な想いで参加したように、ダイアモンドもさまざまな想いを持っていた。スラッシュ・メタル界における最重要バンドがステージを去る最後の瞬間を目にして、“とてもヘンな気分だし、ほろ苦さもある。彼らは今も存在しているはずだ。私が決めることではないけれど、ただ彼らはもうステージにはいないんだ”

 スレイヤーは、モーターヘッドやブラック・サバスに次いでステージを降りることとなった近年最大のバンドであり、さらにさかのぼれば、いくつものアイコン的なバンドが去っている。キング・ダイアモンド自身も63歳という年齢を考えれば、彼らと同じキャリアをたどっていてもおかしくはない。しかしスローダウンする気配は見せず、十字架状に組んだ骨のマイクを振り上げ続けている。彼の健康上の問題は単に一時的な休養となったに過ぎず、むしろ健康的な生活習慣を手にするきっかけともなった。禁煙、適度な睡眠、健康的な食生活を送るようになったのである。

 彼のメタルへのシアトリカルなアプローチには、常に屈強なフィジカルが求められてきた。ライヴの前には、常に鏡の前で2時間かけてメイクアップを行なっている。若い頃のダイアモンドのステージ上の写真と比べれば、彼のメイクアップがどれだけ進化してきたのかがわかるだろう。今となってはメイクアップなどお手の物である。白と黒のペイント、そしてさらに高い集中力で十字架と陰を精巧に描き上げていく。

 毎晩の儀式は昼下がりのホテルにて、一杯のコーヒーとともに始まる。ライヴの音源を最低でも2回は聴き、迫りくるパフォーマンスに向けて自分自身をインスパイアさせている。“これはもはや私の一部で、止めることはできないんだ”と描きかけの顔で話す。

 1974年にジェネシスのライヴにて、ピーター・ガブリエル(vo)が披露したシアトリカルなパフォーマンスを目撃したのがこのアイディアの始まりだった。ガブリエルは白黒のフェイス・ペイントと手の込んだコスチュームをまとい、当時としてはかなりヘヴィでプログレッシブな曲をプレイしていた。そして翌年にはアリス・クーパーが《ウェルカム・トゥ・マイ・ナイトメア・ツアー》を開催した。これらの経験は若き日のロッカーに大きなインパクトを与えた。

 “メイクアップを施すことで、最前列だけでなく会場にいるすべてのオーディエンスに表情を見せることが可能となった。もし自分がバンドに入ってプレイする日が来るのなら、ぜひこれをやってみたいと思ったね。疑いや不安は微塵もなかったんだ”

 

“I LOOKED LIKE A CORPSE. I WAS BLUE, BLACK AND BROWN”
~私はまるで死体のようだった。私の体は青、黒、茶色だったんだ。

 

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