アーティスト、女優、母親、反逆者。
耳の早いリスナーの間では、すでに数年前から話題に上がっていたMYRKUR。日本語ならば《ミルクル》と表記するこのプロジェクトは、フォーク・ミュージックとシンフォニック・ブラック・メタルを両軸に女性ヴォーカルによって紡がれ、シーンに大きな刺激を投下したのだった。そのデンマークから流れくる音楽を作り上げているのが、ミュージシャンでありモデルであり、現在は母親ともなったアマリー・ブルーンだ。デビュー作となるEP『MYRKUR』でのブラック・メタル・スタイルは作品を追うごとに変化を遂げ、サブ・ジャンルに落とし込めない……むしろ、メタルという範疇をも跳び越えた形を作り上げつつある。今後、ここ日本でもさらなる注目を集めるであろうその前に、まずは本稿にて、アマリー・ブルーンというミュージシャンの人間味を知ってほしい。
Text by Dave Everley Photo by John McMurtrie Make-Up by Yunah Rädecker Interpretation by Mirai Kawashima Original by『METAL HAMMER』331
あのときほど歌と調和したことはなかった。
力と明瞭さがあたったの。
クレイジーだったけど、完璧な場だった。
コペンハーゲンから車で1 時間。アマリー・ブルーンの住む平屋には、1枚の古い絵が壁にかかっている。ブロンドの少女が入り江の上の生い茂った道を歩き、夢想のなかをさまようシーンを描いたこの作品は、非常に自然的であり、同時にこの世のものではないかのようだ。
ノルウェーの著名な風景画家、ハンス・ダールによるこの絵は、アマリーの亡くなった祖母のものだった。洗練された女性であった祖母は、象牙のパイプで煙草を吸い、金曜日の朝にはジントニックを呑んでいた。アマリーの母親は、絵に描かれているのはアマリーだと言っていたが、そう言いたくなるのもわかる。
“物心がつく前からこの絵にはつながりを感じていたわ”と、整頓されたスカンジナビアのスタイリッシュさと、ヒュッゲ(hygge)スタイルの快適さが同居したダイニング・テーブルに腰かけたアマリーは言う。“アルバムのサウンドは、この絵に似ている”と。
彼女の言うアルバムとは、2010年代の初頭に始めたひとり女性ブラック・メタル・プロジェクト、ミルクルの3rd アルバム『Folkesange』(2019年)のことだ。
ミルクルの過去の作品は、ブラック・メタル、ポストロック、ブラックゲイズ、クラシックといった世界を橋渡しするものであったが、『Folkesange』は違う。これは、伝統的なスカンジナビアの楽器を使い、おもにデンマーク語で歌われる伝統的な同地の音楽だ。何曲かのカバーとオリジナルが何曲か。曲にもヴォーカルにも、メタルの痕跡はない。まさにタイトルが言うとおり『Folkesange』……すなわち民族的音楽/フォーク・ソングなのである。
アマリー・ブルーンがときに美しく、ときにメランコリックなスカンジナビアのフォーク・ミュージックのアルバムをリリースするということは、彼女を追い続けてきた者にとってはさほど驚くに値しないことだろう。彼女という人間の側面は、常にミルクルの音楽のなかに存在していたし、『Folkesange』ではただそれを濾過してみせただけのこと。
そして何よりアマリー・ブルーンは、ほかの誰よりも多くの人生を生きている。それこそが、彼女を孤高の存在にしているのだ。2017年の前作、多彩で素晴らしい『Mareridt』のリリース後、彼女には切り離せないふたつの人生を変える出来事が起こった。
ひとつ目は結婚したこと。お相手はキース・アブラミ(Keith Abrami)。フィットネスのインストラクターであり、アメリカのデス・メタル・バンド、ARTIFICIAL BRAIN(アーティフィシャル・ブレイン)のドラマーである。キースがミルクルのツアー・ドラマーを務めたことから、ふたりは急接近したのだ。
この日、キースも家にいたが、奥のベッドルームに控えていた。アマリーに最近起こったふたつ目の人生を変える出来事……すなわち生後9週間の男の子、オットー(Otto)の面倒を見るためだ。『Mareridt』が、アマリーが耐え忍んだ生々しい悪夢の産物であったならば、『Falkesange』は妊娠、そして差し迫った第一子の誕生によって定義されるものである。
彼女は母親になったことは嬉しいが、その高揚感は悲しみに縁取られていると言う。ニュー・アルバムの曲作りを始めてすぐに妊娠が判明。“だけど流産してしまったの”と、こともなげに言う。
そのことに触れていいのかとたずねると、彼女はうなずいて、流産は自分を『Folkesange』の制作へ没頭させたと説明した。プロデューサー(そしてHEILUNGのオリジナル・メンバー)クリストファー・ユールとスタジオ入りした数日後、再び妊娠していることがわかった。そしてそのとき、感情の波が彼女を襲った。
“完全に心あらずという感じだったわ。でも美しい感情だった”と彼女は言う。“普通の人間の私ではなかった。何か別のものになっていたわ”と笑うのだ。そして“吐き気もすごくて”とも。
歌声にも変化があった。“あのときほど歌と調和したことはなかった。力と明瞭さがあったの。クレイジーだったけど、あれは完璧な場だった……体内で育つ新しい命とともに、フォーク・ヴォーカルをレコーディングするためにはね”。
もちろん、ほかの感情同様、心配もあった。「Gudernes Viljie」(=神の意志)という曲は、流産についてだ。“感情の衝突があったわ。この新しい命、そして生まれることができなかったもうひとつの命への罪悪感という両面の間で”とアマリーは説明する。そして“心音を聞くことはできなかった。それでも母親になったという意識はなくならない。とても強烈だったわ”とも語ってくれた。
私はいきなりダークスローンを聴いたの。
そこでクラシックを思い出しわ。
アマリー・ブルーンは、スカンジナビアのフォーク・ミュージックを聴いて育った。それは違うレベルで彼女の心に響く。“イギリスと似ているの。伝統的なフォークを歌う歌手がいるでしょ。歴史的に根づいていて、個人というものを形成する。例えそうだと気づいていなくてもね。それがフォーク・ミュージックというものだから。人から人へと伝えられ、スピリットへと受け継がれるの”。
『Folkesange』に入っている12曲のうち、半分は彼女が聴いて育った曲をアレンジしたものであり、もう半分がオリジナル。しかしどの曲がどちらなのかを聴き分けるのは容易ではないだろう。彼女は言う“私が若い頃に、こんなレコードがあれば良かったのに――でもなかったから、自分で作ろうと思ったの”。
フォークであれ何であれ、音楽は彼女の血に受け継がれている。彼女の父親であるマイケル・ブルーンは、かつてミュージシャンだった。彼は80年代初頭のデンマークでシンガーソング・ライターとして活躍した、そこそこ有名なポップシンガーだったのだ。
“だけど、父は名声には興味がなくって”とアマリーは言う。“恥ずかしがりで、人間嫌いだったのよ”。では、彼女は父親似なのだろうか? “そうよ(笑)。ときどき嫌になることもあるけど……でも似ているわ”と答える。対照的に、彼女の母親はユング心理学者だった。“母は家に仕事は持ち込まないようにしているつもりだったけど、結局そうはならなくて。毎日分析されるのよね”。
フォーク・ミュージックだけでなく、アマリーは子供の頃からクラシックが大好きだった。よちよち歩きの頃にピアノを習い、5歳でヴァイオリンを始め、そして10 代で音楽大学に入った。“強制されたわけではなくって、全部私の選択だった。ほかのものに興味がなかったのよね”。
アマリー・ブルーンが最初にハマったメタルのレコードは、ダークスローンのサブ・ロー・ファイ・ブラック・メタルの傑作、『トランシルヴァニアン・ハンガー』だった。それ以前は、彼女もニルヴァーナやビョークといった普通のティーンエイジャーが聴くものを楽しんでいた。兄が持っていたメタリカやジューダス・プリーストのレコード以外、メタルはあまり聴いたことがなかったようだ。
“普通、そこに到達するまでは何年もかかるわよね?”と彼女は言う。“でも私はいきなり『トランシルヴァニアン・ハンガー』を聴いたの。そこでクラシック音楽を思い出したわ”とも。
『トランシルヴァニアン・ハンガー』は入門用セットだと、彼女は冗談めかして言う。曰く、“これが気に入れば、ほかのブラック・メタルもいろいろ聴けるはずよ。だって、それらのほうがずっと聴きやすいもの”。
22歳のとき、アマリーはニューヨーク行きの飛行機の片道切符を買い、新しい生活を始めたのだった。
詩人、パンクス、変人、スーパースター……ニューヨークが持つ豊かでロマンティックな音楽の歴史が、彼女を引き寄せたのだ。ただ、そこに着いたとき、彼女には携帯電話も泊まるところもなかった。
“自分が何をしているのかわかっていなかった”と彼女は言う。“だけど、それがニューヨークというもの。ただそこに行って、何が起こっているのかを見ればいい”と思っていた。
デンマーク時代の友達の友達のところに泊まりながら、彼女は街中を歩き回り、ライヴハウスにデモ音源を配った。その音源は“ピアノ・ミュージックだった――いくつかのメロディも歌っていたわ”と回想する。
プレイさせてくれるところなら、どこにでも出た。どんな観客の前でも。“クールな観客じゃなかったわ……まったくクールじゃなかった。でも、名声のためじゃなかったから。ほんの少し認めてもらいたかっただけ”。
“I’M NOT THE FIREST WOMAN IN METAL,
BUT I DIDN’T FOLLOW THE RULES
OF HOW WOMEN IN METAL SHOULD BEHAVE”
―私はメタル界初の女性ではない。ただ、人より自分のやり方を貫いただけ。
◎続きは【メタルハマー・ジャパンVol.2】でどうぞ。