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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

ロブ・ハルフォード/ジューダス・プリースト【『METAL HAMMER JAPAN Vol.9』より】

 へヴィメタルの象徴とも言える“メタル・ゴッド”、ジューダス・プリーストのフロントマンであるロブ・ハルフォードは、その長い歴史のなかで起きた重要なシーンについて、熱を帯びながらじっくりと語ってくれた。バンド脱退から同性愛のカミング・アウトなど、ほかではなかなか聞けない告白になっている。
 ぜひ彼のキャリアを思い起こしながら、それぞれの話題に耳を傾けてほしい。

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 ヘヴィメタル界にはアイコン的な存在が大勢いるが、メタル・ゴッドはひとりしかいない。
 50年にも及ぶキャリアを通じ、歴史上最も重要で影響力のあるメタル・バンドにして自身が最も愛するバンド、ジューダス・プリーストのフロントマンをロブ・ハルフォードは務めてきた。そしてほぼ彼自身の力によって、このジャンルのヴィジュアル・イメージとサウンドが作り上げられてきた。
 ウェスト・ミッドランズのウォルサール近郊の住宅団地で育った幼少期以降、メタルへの愛と情熱が果てることは一切なかった。彼は“私はメタル・シンガーで、それこそ私の生き方だ”と、アメリカの自宅から落ち着いた口調で語り始める。
 “ステージで威勢よく歌ったとき、自分が長きに渡り世界一大好きなバンドのシンガーとしてやってこられたことを心からありがたく思うと同時に、恐縮してもしまってね”と笑みをこぼす。これまでに貢献してきたさまざまな功績だけでなく、こういったアティチュードこそがロブをスターにさせているのだ。

 

Text by Stephen Hill
Interpretation by Tommy Morly

 

自分たちが手にした楽器を使って、
自分たちが何者であるかを示す必要があった。
>ロブ・ハルフォード

 

ーサットン・コールドフィールドの住宅団地での、あなたの幼少期はどのようなものだったのでしょうか?

 あれは特別な時代だったよ。世界は第二次世界大戦から立ち直ろうとしていて、ああいった新しい住宅団地は英国の希望と華やかさを象徴していた。幸運なことに私の家族はウォルサール近郊のビーチデイル・エステート内にあったカルヴィン・ロードの38番に入居することができて、当時の誰もが迎えようとしていた新たな生活を手にしていた。
 学校に通うようになり、ティーンエイジャーになると音楽に夢中になって、若者として最高の時間を過ごしていたね。しかし歳を重ねていくと普段の生活圏の外に目がいくようになり、私の心は早くもほかのことへと定まっていった。ウォルサールは愛していたけど、自国のもっとほかの場所を見たくなったのさ。当時はロンドンに行くなんてことは、それこそ、いち大イベントだったからね!

 

ーあなたが初めてインスパイアされた音楽とは?

 私を揺るがしてくれた初めての音楽は、叔母のパットがくれたレコード・プレイヤーと数枚のレコードによるものだった。エルヴィス、ビル・ヘイリー・アンド・ザ・コメッツといった音楽を聴いて、“なんてことだ! 一体これは何なんだ!?”と思ったのを覚えているよ。頭が吹き飛ぶような気持になったからね。音楽にはこういった力があるってことに初めて気がついたんだ。
 それからの私は、ザ・ビートルズ、ストーンズ、ザ・フーといった偉大なバンドたちを聴いて育っていったよ。当時、音楽はラウドになり続けていく頃だったので、あの頃に音楽に夢中になれたのは素晴らしいことだったさ。
 そして“ヘヴィネス”というものが始まろうとしていた。私は《ワイト島フェスティバル》(1970年)でジミ・ヘンドリックスが大音量でリフをプレイするのを目撃し、それだけですでに充分だった。運命が私を呼んでいることに気がついたんだ。

 

ープリーストが始まった頃、“ヘヴィメタル”という言葉は音楽用語としては捉えられてはいなかったと思います。メタルの黎明期は、あなたにとってどのようなものでしたか?

 私たちが最初に行なったのは、この“ヘヴィメタル”という言葉を広めていくことだった。インタビューを受けるたびに“自分たちはヘヴィメタル・バンドだ”と答えてきたからね。私たちには、比べたり、判断したり、参考にするようなものなんてほとんどなかったんだ。しかし、自分たちが手にした楽器を使って研鑽しながら、自分たちが何者であるかを示す必要があった。そして、自分のキャラクターを見つけることはとても重要なことでもあって。
 当時、自分たちが作っていたサウンドは充分に個性的で、それによって、ほかのどのバンドからも大きく離れた存在となっていたこともわかっていたよ。“ジューダス・プリーストってバンドがいる。彼らはスクリームするようなヴォーカルと畳みかけるリフで、今までに聴いたことのないような音楽をやっているぞ”と、あちこちで言われていたからさ。そしてこれは、我々のイメージができあがる以前から言われてきたことでもあるんだ。

 

ー1980年は、メタルにとって信じられないような1年となりました。プリーストは『ブリティッシュ・スティール』をリリースし、ほかにも『エース・オブ・スペイズ』、『鋼鉄の処女』、『バック・イン・ブラック』、『ヘヴン&ヘル』、『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』といった、このジャンルでのクラシックとなる作品が数多く発表されました。あの年はあなたにとってどんな1年でしたか?

 かなりエキサイティングだったよ。80年代は退廃の10年間だったけど、ジューダス・プリーストからモトリー・クルーまで、さまざまなヘヴィメタルが入り混じったアメイジングな時代でもあった。
 ひとつの基準となるようなアルバムを作ったことは、私たちにとって大きな瞬間でもあり、今でもあのアルバムは飛び抜けていると思う。あれと同じようなアルバムを作ったことはないし、それはこれからもそうだろう。産業そのものが大きく変化しようとしていたとも言えるね。アメリカだけで、最初の一週間で50万枚も売ったんだから! 多くの人にとって景気が良くなっていたこともあって、どのライヴも売り切れ、Tシャツやレコード、カセットも売れまくりさ。どこを取ってもクレイジーな空気で溢れていたね。

 

◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.9』  でどうぞ

 

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