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マックス・カヴァレラ【『METAL HAMMER JAPAN Vol.9』より】

セパルトゥラ〜マックス・カヴァレラの「拒絶」と「抵抗」

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 メタル・ミュージックのヘヴィ・グルーヴ化を本作的に推し進めたアルバムのひとつは、間違いなくセパルトゥラの5thアルバム『ケイオスA.D.』である。1993年にリリースされた本作には、前作『アライズ』までの粗暴に疾駆するサウンドとは一線を画し、その後のスタイルにつながる重々しいリズムがハッキリと刻まれている。
 そして、それを象徴する楽曲こそ、オープニング・トラックである「リフューズ/レジスト」なのだ。バンドにとってはもちろん、メタル・シーンの変貌の引き金ともなったこの暴動的キラー・チューンについて、マックス・カヴァレラは今、このように回顧するのだった。

 

Text by Dave Everley
Interpretation by Mirai Kawashima

 

あの曲は、間違いなく俺たちの考えていたことを反映していた。

 セパルトゥラが“ブラジリアン・メタルの世界大使”から“90年代で最も影響力のあるバンドのひとつ”へと昇り詰めるとき、それを加速させる楽曲のインスピレーションとなったのは、ニューヨークの地下鉄でチラリと見えたレザーのジャケットだった。

 “ニューヨークの地下鉄に乗っていたんだ”と、元セパルトゥラのフロントマン、マックス・カヴァレラは言う。“ブラック・パンサーのような、パンクっぽいヤツがいてね。プロテスト(※抗議)の文句が書かれた黒い革ジャンを着ていたんだ。[Protest and survive / Refuse and resist(抗議して生き残れ、拒絶し抵抗しろ)]ってさ。地下鉄を降りてホテルに戻り、それを書きつけたよ。もちろん、忘れてしまわないようにね”

 このインスピレーションの瞬間が、1993年の歴史的作品、『ケイオスA.D.』のオープニング・トラックにして2ndシングルである「リフューズ/レジスト」の原動力となった。
 この3分間のノイズと怒りの大音響では、殴打の集中砲火をグルーヴィにスロー・ダウン。これによりバンドは名を上げ、“乱雑に広がる街=ベロオリゾンテ”出身の凶暴な若者たちを、アンダーグラウンド・メタルのゲットーから90年代初頭のメインストリームへと押し上げる助けとなった。この曲は、ほぼ30年後の今日も、当時の……いや、いかなる時代のものとしても、明確な“戦闘指令”として傑出している。

 “当時、俺たちには多くの怒り、憂鬱があった。世界は狂っていたよ”とマックスは言う。“あの曲は、間違いなく俺たちの考えていたことを反映していたから”

 セパルトゥラは、その数年前から自身の野心を見せつけていた。1989年の『ビニース・ザ・リメインズ』は彼らの3rdアルバムであり、のちに大企業になる-当時はまだ“影響力の強いアンダーグラウンド・メタルのレーベル”であった-[ロードランナー]からの第1作だった。その初期のスラッシュ〜デスは、シーンに属する者たちに波を起こしたのだ。
 続く1991年の『アライズ』という爆発的火炎瓶は、その時代の先を行く過激さ故に、当時の世界ではまだ受け入れる準備ができてはいなかったものの、それでも大きな期待を伴ったリリースであった。

 

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 1993年になる頃、風景は変わり始めていた。デス・メタル初期の強烈なインパクトは薄れていたかもしれないが、それはサウンド的なブルータリティがどこまで許容されるかという限界点を歪め、メインストリームのメタル・シーンに打痕を残していた。さらに適切に言えば、パンテラの革新的なアルバム『俗悪』(1992年)の成功がメーターを再調整し、ヘヴィ・ミュージックにとっての大胆な新時代への先駆けとなったのだ。
 セパルトゥラ自身もその変化を感じていたし、正面からそれに立ち向かう準備ができていた。

 “俺たちは、それまでに作ったどのアルバムにも満足していなかった”とマックス。“いつも「OK、この作品は完成だ。次はどんなアルバムができるんだろうな?」なんて感じで、いつでも新しいものを探していたよ。可能な限り自分たちを刷新しようとしていたけど、これはときにとても難しいことでもあってさ”

 『ケイオスA.D. 』となるアルバムの目標は高かった。マックスやその仲間たちの影響源はスラッシュやデス・メタルを超え、ずっと広いものになっていた。新たな影響は、ミニストリーやバイオハザードから、ブリティッシュ・ポスト・パンクの扇動者であるニュー・モデル・アーミー、さらにはゴスの重要バンド、ザ・ミッションにまで及んでいた。

 “俺たちにとって過渡期だったんだ。影響を受け自分たちの音楽に取り入れられると思う、さまざまなバンドを聴き始めていたね”

 彼らの野心を示すさらに大きな指標となったのは、アンディ・ウォラスをプロデューサーに迎えたことだ。アンディは『アライズ』(1991年)のミックスを手がけたほか、スレイヤーやフェイス・ノー・モア、ホワイト・ゾンビ、ニルヴァーナなどと仕事をしていた。彼はオルタナティブのバンドをヘヴィにし、メタル・バンドの音を最先端にすることができた。

◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.9』  でどうぞ

 

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