1970年代、ブラック・サバスはヘヴィメタルを産み落とした。その誕生のきっかけとなる重要なアルバムでドラムをプレイしていたビル・ワードだが、彼は1980年代から十数年間に渡りアルコール依存症に苦しみ、またメンバーと袂を分かつ人生を歩むことにもなった。それでも彼は前進を続け、2010年代にはサバスにも復帰。心身の健康を手に入れたのだ。
そんな彼も、現在は古希を超えている。自身の病や年齢からの影響による意識の変化に始まり、バンドやメンバーへの想い、そしてヘヴィメタルの未来についてなど、その起伏の激しいキャリアから学んだ人生の教訓を聞かせてくれた。
Interpretation by Mirai Kawashima
偉大になることとは、可能な限り学ぶこと。
私は少なくとも200人のドラマーを聴いて育ったし、常にジーン・クルーパの功績を認めているよ。彼の緩さと素晴らしさが大好きなんだ。ほかにも子供の頃はバディ・リッチも聴いたし、ルイ・ベルソンやエルヴィン・ジョーンズなんかも聴いていたね。
本当にいろいろなドラマーを聴いてきたなぁ。ジャズもそうだし、私の神様でもあるブライアン・ベネットのいたシャドウズのような英国ポップスも聴いて育ったものさ。「グッド・ゴリー・ミス・モリー」のチャールズ・コナーを聴いて、完全にぶっ飛ばされたことも覚えているよ。あのレコードのパワフルさは信じられないほどだったから。
“正しいバンド”はすべてを変えられる。
1962年にビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」をリリースした直後のバーミンガムでは、ジョニー・ニールやザ・スターライナーズといった50年代の音楽から影響された本物のロックンローラーたちが現われたんだ。リヴァプール発の波はみんなのケツを蹴り上げて、すべての大都市はそれを取り入れた彼ら独自のシーンを作らざるを得なかったのさ。
[アストン・コミュニティ・センター]でブラック・サバスのリハーサルを終えたとき、私の心はいくつかのことを告げていた。我々はほかのバンドとは違うし、自分たちの作品は何かしらの問題を引き起こすだけではなく、熱狂的なファンを生み出すこともわかっていたね。そのことは大きな誇りだよ。
あらゆる形態のアートを楽しめ。
芸術は我々の人生においてあまりにも自然に存在し、そのため、それを当たり前のことだと思いがちだ。以前やっていたラジオ・ショウが大好きでね、ぜひ、またやりたいと思っているよ。トゥデイ・イズ・ザ・デイやディスビリーフみたいなバンドを見つけてきては、多くの人に聴かせたものさ。
お気に入りのミュージシャンたちがやっていることにも目を光らせているよ。デイヴ・ロンバードやジーン・ホグランとかね。
ヘヴィメタルは火星に行くだろう。
ヘヴィメタル・ミュージシャンたちがイカしたことをやり続ける限り、私たちはただただ安心していられる。ヘヴィメタルはいつでも再発明されているし、素晴らしいミュージシャンたちもいるからさ。
抜きに出てスゴいと思うことのひとつは、ヘヴィメタル界のベース・プレイヤーとドラマーたち。最近の彼らの演奏は信じられほど素晴らしいよ。
リスクを冒さなければ成長しない。
ブラック・サバスでやったことは、どれも大好きさ。リスクを冒すため、あえてヘヴィから離れてアコースティック・パートをプレイしたりね。「悪魔のしるし」でも再びそれをやったかもしれないが、当時の私たちはいつも限界を推し進めようとしていたんだ。
◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.10』 でどうぞ