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《スペシャル・インタビュー》デイヴ・ロンバード【『METAL HAMMER JAPAN Vol.12』より】

スレイヤー関連を筆頭に、
多岐にわたる活動への質問をダブル・ベース・ドラムの如く怒涛の連打で答える!

 現在は久々にテスタメントのドラマーとして多忙な日々を送るデイヴ・ロンバード。ただし彼がスレイヤー、ミスフィッツ、あるいはマイク・パットンと……どんなバンド/ミュージシャンとプレイしていようとも、レジェンド・メタル・ドラマーであることに変わりはない。今回はスレイヤー関連を筆頭に、多岐にわたる活動への質問をダブル・ベース・ドラムの如く怒涛の連打で答える!

Interpretation by Mirai kawashima

 

最高の思い出? 
マイク・パットンとの素晴らしい思い出はたくさんあるから、
ひとつに絞るのは難しいな。

 その躁的なスタイルから、彼は自分のことを“ADDデイヴと呼ぶ(※ADDは今でいうADHDのこと)。40年に渡るキャリアのなかで、我々が想像するラウドな音楽ヒーローのほぼ全員と共演を果たした、スラッシュ・メタル史上最も多忙で最もアイコニックなドラマーのひとりだ。だからデイヴ・ロンバードは、君たちの厳しい質問を目の前にしても、動じることなどあるはずもなかった。
 1時間に渡り彼は率直に質問に答え、そしてまた熱心な音楽愛好家の彼は、今も自分が関わるたくさんのプロジェクトついて夢中になって語る。彼はパンクへの愛、スラッシュ、ジャズ、レミー、マイク・パットン、アバンギャルドの作曲家であるジョン・ゾーンとのデュエット、そしてジャズのレジェンドであるマイルス・デイヴィスからのお墨付きについて、喜んで熱弁を振るうのだった。

 

—ファントマスの音楽をライヴで演奏するのは難しかった? メタルをおちょくっているような感じはしましたか?
 興味深い質問だね。初めてファントマスを聴いたときからピンと来たよ。(マイク)パットンはいつも、俺のことを考えながらドラム・パートを書いたと言っていた。だから、聴いた瞬間に理解できたよ。たくさんのテンポ・チェンジには練習が必要だったし、曲の途中でブラシに持ち替えてベルを叩かなくちゃいけなかったから大変だったけど、楽しかったな。音楽について多くのことを教えられたよ。

―マイク・パットンとはどのように出会ったのですか? 彼とのお気に入りのエピソードは?
 フェイス・ノー・モアが90年代に活動休止をする前の最後のショウで知り合ったんだ。ロバート・トゥルヒーヨもいて、みんなでバックステージにいたんだっけ。音楽の話をしたり、スレイヤーを抜けたあと俺が何をしてるかとかを喋ったなぁ。最高の思い出? 彼との素晴らしい思い出はたくさんあるから、ひとつに絞るのは難しいな。そのなかでもひとつはこれさ。
 ファントマスでショウをやり、一旦ステージを降りて、アンコールとしてレコーディングはしていないライヴでだけでプレイする曲をやるんだ。パットンと俺はバックステージにいて、バズ(オズボーン)とトレヴァー(ダン)がステージに上がり、2〜3分間単調なリフをプレイする。俺たちはバックステージで座って呑みながら“そろそろ行きますかね?”、“いや、もう少し待たせよう”なんて言ってさ。そしてようやく出ていって、あのダウン・ビートを叩く。あれはいつも素晴らしい瞬間だった。

—ジョン・ゾーンと一緒にプレイをして、何を学びましたか?
 自由! 自分自身を音楽的に好きなように表現する自由。ジャンルも制限もなくね。ジョンがそこにいれば“あぁ、俺はデイヴ・ロンバードだから、こういう音楽をプレイしなくちゃ!”なんていうことがなくなる。彼はほかの音楽を楽しむことを心地いいと感じさせ、恐れをなくしてくれるんだ。
 ルーヴル美術館のガラスのピラミッドでも演奏したよ。俺たちふたりのデュエットで、彼のすべてを伝えるものだった。あぁ、俺には彼を描写する充分な言葉がないな。ハイパー・インテリジェントな人物さ。

―今さらながら、グリップ・インクについての見解を聞きたいです。過去25年間で最大に過小評価されているバンドだと思うのですが。
 ガス・チャンバース(vo)が亡くなってしまったのは残念だ。彼は交代の効かない、サウンドや作曲の重要な一部だったから。あのバンドが大好きだったし、素晴らしいバンドだった。新しくて新鮮で、スレイヤーを抜けて初めて自分の方向性でやったものだったからさ。もう彼らと一緒にやれないというのは、本当に悲しいことだよ。

 

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