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“アイアン・メイデンの姪”レイン・レイバークーセンが、プロレスラーとして日本デビュー!<前篇>

 日本のプロレス団体[DDTプロレスリング]に、イギリスの女子プロレスラー、レイン・レイバークーセンが初来日を果たした。彼女は団体側から“アイアン・姪デン”というキャッチ・フレーズがつけられているが、実際にアイアン・メイデンの元ドラマー、クライヴ・バーの姪にあ当たる。メイデンのTシャツを着用して試合をすることもある彼女に、クライヴ・バーとのエピソード、メタルとプロレスの関係などについて聞いてみた。

Text by Keizo Takasaki

 

 “どうして女子プロレスラーが[METAL HAMMER JAPAN]に載っているんだ?”と思われるだろうか? しかし彼女……レイン・レイバークーセンを取材したのには理由がある。イギリス出身の彼女は、あのアイアン・メイデンの元ドラマー、クライヴ・バーの姪に当たるのだ。今回彼女を招聘したプロレス団体[DDTプロレスリング]では“アイアン・姪デン”というキャッチ・フレーズをつけて来日を煽っている。
 日本に到着した当日に取材に応じてくれたレインは、長旅の疲れもまったく感じさせないほどにこやかに現われ、ハイ・テンションで質問に答えてくれた。まず聞きたかったのは、クライヴとの関係だ。クライヴはアイアン・メイデンのデビュー作『鋼鉄の処女』(1980年)でデビュー。パワフルなドラミングでメイデン・サウンドの一翼を担ったが、3作目『魔力の刻印』(1982年)を最後に脱退。
 “私が5歳のときに、私の叔母がクライヴと結婚したんです。私自身がアイアン・メイデンやオジー・オズボーンといったメタルを好きになったのが12歳の頃で、実際、親族にそんなすごいロック・スターがいると知ったのはそれからでした。私は祖母の家のラジオやCDを通じてメタルを好きになったんですが、そのドラムを叩いているのが叔父だとわかったときはすごく驚きました。ただ私が「クライヴに話を聞きたい!」と思ったときには、彼はすでに難病の多発性硬化症に冒されていて、ほとんど交流が持てなかったのは本当に残念です”
 闘病生活を続けていたクライヴは2013年、56歳で死去。10代半ばだった彼女は、その頃のことをこう話してくれた。
 “お葬式に行って、悲しくて泣いていたのを覚えています。150人~200人ぐらいの人が参列していました。ブルース・ディッキンソンには挨拶をしましたし、メイデンのメンバーは全員来てくれていたと思います”

 

 ライヴが亡くなってから、より深くメタルを愛するようになったというレイン。歌やダンスを学んでいた学生時代には、多くのメタル・キッズと同じ道を歩んだという。そしてその延長線上に、もうひとつの道を見つけた。
 “ずっとメタルが好きで髪型もクライヴのマネをしていたんですが、まわりはテイラー・スウィフトとかジャスティン・ビーバーが好きな人ばかり(笑)。趣味が合う人は少なかったけど、メタルひと筋に聴いていましたね。ただ、この学生時代に大きな転機が訪れたんです。歌やダンスを学んでも、コロナのためにイギリスはロックダウンに入ってしまい、ステージで披露する機会がほとんどなくなってしまって。自分自身も「私が本当にやりたかったのはこれだったのかな?」と考えてしまったんですけど、そんなときにイギリスでWWEのトライアウトが開かれることを知ったんです”
 [WWE]はアメリカを拠点とする世界最大のプロレス団体。イギリスやヨーロッパ圏でも頻繁に大会を開催していたが、2018年からは若手主体の興行[NXT]のイギリス版を開催するようになった。それに伴い、イギリスでのトライアウト、いわゆるオーディションを実施。また“パフォーマンス・センター”と呼ばれる選手育成施設も開設し、本格的にイギリスに根を下ろしている。
 “オンラインの申し込みフォームには<ダンスはできますか?>、<歌は歌えますか?>という質問項目があって、最後が<レスリングはできますか?>だったんですが、そこだけ“ノー”をつけました(笑)。その後、レスリング・スクールに通うようになったんですが、やっていくうちに本当にプロレスにハマりました。最初は週1コマだけだったのが、週2、週3、週4……とのめり込んでいって、楽しくてしょうがなくなって。プロレスをやっている間は、自分らしくいられたんです。その練習を突き詰めていくうちに、2021年10月、プロとしてデビューすることができました”

 

 

 プロレスはキャラクター・ビジネスの要素が大きい。“強さ”を身につけることももちろん大事だが、それに加えて観客に強く印象づけられる要素、“また見たい”と思わせるキャラクター作りができれば、成功への道が開ける。
 レインはデビューが近づくまで、どういうキャラクターでいけばいいか、あまり考えていなかったのだという。だが迷う必要はなかった。自分には偉大な叔父さんがいて、メタルがある。同じく叔父さんを誇りに思う8歳上の兄もアドバイスをくれ、“メタル・レスラー”レイン・レイバークーセンが誕生した。
 “叔父が亡くなったとき、叔母は彼の着ていたジャケットを兄に形見として譲っていました。兄は「ロックとプロレスを融合させるなら、これはお前が着たほうがいい」と言って、そのうちの1枚を私に譲ってくれたんです”と語る。
 “私のファイト・スタイルは、叔父から、そしてアイアン・メイデンを始めとするメタルから多大な影響を受けています。叔父の〈HIT'EM HARD〉というキャッチ・フレーズを私も使わせてもらっているし、その言葉どおりハードに相手を叩き潰すようなプロレスを心がけています。今も変わらず彼の髪型をマネしているし(笑)、メイデンのキャラクター、エディにインスパイアされた絵柄のTシャツも製作しているんですよ”
 とはいえ、レインは本国イギリスのリングで“クライヴ・バーの姪”であることを強くアピールしているわけではない。事実、筆者は今回の取材に際し<Rayne Leverkusen>でいろいろと調べてみたのだが、クライヴやメイデンとの関係をことさら強調する宣伝にはお目にかからなかった(そのため“誰の姪なのか”わかるまでに時間を要したほどだ)。
 “はい、姪であることは公表してはいますが、それほど喧伝してはいません。イギリスのプロレス・ファンは、そのことを知らない人も多いと思います。クライヴは最初の3枚でメイデンを脱退していますし、今のメイデンのファン、メタルのファンにもそこまで認知されていないのではないかと思いますし”。レインは続ける。
 “イギリスではクライヴのこととは関係なく、このメタルっぽい見た目とファイト・スタイルでファンになってくれる人が多くて、今までプロレスとは縁がなかったメタル・キッズが応援に来てくれるのでうれしいですね。私の試合からロックを感じて「カッコいい!」って言ってもらえるのが一番うれしいです!”
 そんな彼女がデビューから2年足らずでつかんだ日本遠征。日本と言えば、デビュー当初のアイアン・メイデンを熱烈に歓迎し、彼らが世界のトップ・バンドに成長していくきっかけとなった土地でもある。彼女はそんな日本に来ることを待ち望んでいたという。

<後篇に続く>

 

“アイアン・メイデンの姪”レイン・レイバークーセンが、プロレスラーとして日本デビュー!<後篇>はこちらへどうぞ!

 

“アイアン・メイデンの姪”が“赤井英和の娘”と激突!
DDTプロレスリング《MEGA MAX BUMP 2023 in YOKOHAMA》

<インターナショナル・スペシャル・シングル・マッチ>
赤井沙希 vs レイン・レイバークーセン

5月3日(水/祝)@横浜武道館
詳しくはオフィシャルHPへ<https://www.ddtpro.com/lp/20201