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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

ジョナサン・デイヴィス/KOЯN 【メタルハマー・ジャパンVol.1より】

「この世でした善い行ないのせいで

俺の人生はいつもメチャクチャだった」

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 昨年9月に最新アルバム『ザ・ナッシング』をリリースし本年3月の[KNOTFESTJAPAN 2020]2日目にて、約2年ぶりの日本公演を行なう予定だったKOЯN。本稿では、アルバム・リリース時に英『メタルハマー』で行なわれたインタビューを掲載。本作の制作がどのようなものだったのか……ジョナサン・デイヴィスの告白。

Text by Eleanor Goodman Original by『METAL HAMMER』327 Interpretation by Mirai Kawashima

 

誰かと一緒にいること
ずっと一緒に過ごすというのは
本当にクレイジーなことさ。

 ジョナサン・デイヴィスの妻がオーバードーズで亡くなったとき、彼は現実の本質そのものに疑問を持ち始めた。その結果、ここ数年のKOЯNでは最も暗いアルバムが誕生した。

 “破壊と苦痛をもたらす闇のエネルギーというものが存在するのさ”……白い壁の会議室で、テーブル越しに私たちを見つめながら、ジョナサン・デイヴィスはそう説明する。まるで告白をするかのように。

 “俺はこれまでずっと、そいつらと戦ってこなくてはいけなかった”。

 彼がくぐり抜けた悲惨な経験を知らなければ、こんな言葉は陳腐に聞こえるかもしれない。KOЯNのフロントマンとして30年もの間、彼はその暗い思いを書き続け、何百万人に向かって歌い、そして大成功を収めた。KOЯNの13枚目のアルバム『ザ・ナッシング』の取材日、私たちはロンドンのメイフェア地区のホテルにいた。前作『ザ・セレニティー・オブ・サファリング』がリリースされたのが2016年。イギリスでは大会場のウェンブリー・アリーナでプレイし、アメリカのフェスティバルにおけるステータスも急上昇。2018年の夏にリリースされたジョナサンのソロ・アルバム『BLACK LABYRINTH』も、高い評価を得た。

 だが2018年後半は、ジョナサンにとって非常に厳しいものとなった。母親が逝去。その2ヵ月後、今度は妻のデヴェンを失った。彼女は数年もの間メンタル・ヘルスの問題を抱えており、違法ドラッグと処方薬のオーバードーズというアクシデントで亡くなってしまったのだ。これらの出来事を思い出さずに、『ザ・ナッシング』を聴くことは難しいだろう。まったくもって気軽に聴ける作品などではない。

 そのため、彼の広報担当者から“ジョナサンは妻やその死に関することについては一切話さない”という連絡をもらったとき、彼がこのアルバムについてどのように語るか想像するのは容易ではなかった。ただ言えるのは、彼が何度もそんな悲惨な出来事を思い出したくはないだろうということだ。その苦痛をレコーディングで表現することと、それを自らジャーナリストに語るのではまったく違うからだ。

 私たちは新作についてありきたりの質問を用意し、彼の精神状態がどのようなものであるか知らずに部屋へと向かった。握手をすると彼はニッコリと微笑み、そして私たちは去年会ったときと同様、作品について気楽に話し始めた。しかし5分も経つと、こんな言葉が彼の口からこぼれ始めた。

 “デヴェンが死んだとき、ヤツらが思いっきり暴れ始めやがった”。

 冒頭で述べられた、彼を苦しませ続ける闇のエネルギーのことだ。手で覆われた口から漏れる声はかすれていた。

 “何年も止めていたことをやりたくなった。ヤツらのせいで酒が欲しくなり、あらゆることに手を出したくなった。だけど、俺は抗わなくてはいけなかった。本当にメチャクチャだったよ。誰かと一緒にいること、ずっと一緒に過ごすというのは本当にクレイジーなことさ。20年も一緒に過ごした相手がいなくなってしまったんだから。その一緒に過ごした20年ですら地獄だった。彼女は病んでいたからね。闇のエネルギーが何もかもメチャクチャにしてしまうのだと俺は思っている”。

 彼は『ザ・ナッシング』のコンセプトをこう説明する。ここ1年ほどで、この世には一定量の闇のエネルギーと、それと同量の光のエネルギーが存在するという結論に達したのだと。そして、それらのバランスが完全に保たれている場所があり、彼はそこを1984年の子供向け映画『ネバーエンディング・ストーリー』に出てくる不思議な力にちなんで、“ザ・ナッシング”と名づけた。宇宙は闇と光のふたつのエネルギーの均衡を保っており、善い行ないをすれば、同量の不幸が降りかかってくると言うのだ。

 “この世でした善い行ないのせいで、俺の人生はいつもメチャクチャにされてきたように感じたのさ。アルバムの曲(「サレンダー・トゥ・フェイリアー」)にこんな一節がある。<俺がしたすべての善い行ないには報いがある。その報いが恐ろしい>。これはまさに俺自身の体験さ”。

 では、彼は人生のなかで、どのような善い行ないをしてきたのだろう?

 “例えば、俺の音楽は何人のキッズの人生を救ったか……KOЯNはポジティヴなことしかしていない。俺は自分自身をとても善い人間だと思っている。邪悪な人間ではないし、誰も傷つけたくはないんだ”。

 KOЯNさえやっていなければ、彼の人生はこれほど暗いものにならなかったと感じているのだろうか? “多分ね”と言って言葉を切り、肩をすぼめるかのような表情を見せた。“多分としか言えないな、うん”。

 彼はさまざまな現実に起こったことを通じて、この哲学に到達した。彼は言う。しばらくの間、ギターのブライアン“ヘッド”ウェルチは光を求め宗教にハマったが、それは自分が闇であるが故のことであり、彼が神に頼ったのは理解できると。ベーカーズフィールドで育ったせいで、暗い場所のほうが居心地がいいのだと。ネガティブなものとポジティブなものの主導権争いをいつも感じたと。そして彼の頭のなかでは、そのことに意味があると。

 端から見れば、これは大きなトラウマを抱えた人間が“なぜ善良な人々に災難が降りかかるのか?”という昔ながらの疑問に答えようと考えた、シンプルな説明に思える。つまりは、起きてしまったことを合理化しようとする試みではないだろうか?

 “俺なりの合理化の仕方なのかもしれないな。俺にわかることはそれだけさ”と、彼も同意する。“俺たちの意識のなかにあるものは、すべてネガティブかポジティブなのさ。原子レベルに至るまでね”。 

 自己の葛藤を吐露するジョナサンが気になります。続きは『メタルハマー・ジャパンVol.1』でどうぞ。

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