METAL HAMMER JAPAN

METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

トビアス・フォージ/ゴースト【メタルハマー・ジャパンVol.5より】

A MESSAGE FROM THE CLERGY

GOHST ARE TEN

<聖職者からのメッセージ ~ゴーストはサイコーだ>

f:id:metalhammer:20210319150918j:plain

不気味なマスクをかぶったホラー・チックなヴィジュアルとシアトリカルな世界観、そしてヘヴィメタルとゴシックとポップスを渾然一体とさせた音楽性で、2010年のデビュー以来、多くのファンを魅了してきたゴースト。特に欧州では絶大なる支持を得ている彼らだが、その主宰者であるトビアス・フォージは、最初から成功の道を歩んできたわけではない。最後のチャレンジと目してきたこの活動が大輪を咲かせるまでの10年の軌跡。

Translation by Tommy Morly

 

当時の俺は死にものぐるいだった。

 何か奇妙なことが進行していたが、リー・ドリアンはそれが何なのか把握できずにいた。2010年の初頭、近年彼が運営しているレーベル[ライズ・アバヴ]と“不思議な魅力を持った新しいバンド”ゴーストは契約を結んだ。そしてバンドのフロントマンかつブレインであるトビアス・フォージは、身にまとうローブを買うための資金を求めた。

 “あの当時彼らがどんなルックスだったのか、俺はまだ見たことがなかった”と、カテドラル及びナパーム・デスの元シンガーが振り返る。

 “トビアスは何度も金の用意を求めてきて、その額面は次第に増えていったよ。彼が言うには写真撮影のためのローブが必要だったってことで、しまいには撮影の総費用以上にローブに金をかけることとなっていたね。俺は「大層ご立派なものを用意してくれるんだろうな!」という感じだったさ”

 好奇心を抱いたリーは渋々ながらキャッシュを渡し、スウェーデンのリンシェーピング(※同国南部の都市)からやってきた秘密主義のミュージシャンが一体何を目指しているのか明らかになるのを待った。

 “できあがった写真で彼らの姿を初めて見たときの俺らといえば「なんだこれは……」って感じだったね”。スリップノットがシーンに現われて以降、マスクを被ったバンドは幾十も出てきた。しかし彼らの容姿は、それらをさらに凶悪にしたものだった。黒頭巾をかぶった連中のなかに、死霊の司祭らしき者がたたずみ、その頭には刺繍を施したターバン、顔にはデスマスク、そしてとても高価なローブをまとった姿が写真に収まっていた。

 

 トビアスは“あの頃はタイミングと俺たちの野望がそろい、そして死に物狂いだった”と、当時バンドがシーンに与えたインパクトについて語り、それは単に彼の新たなレーベルのボスに対してのみならず、メタル・シーン全体にインパクトを与えるものであったと言う。

 “その陰で、俺は人生をかけてずっと準備をしてきたんだ”。写真の中央に立ち、そしてゴーストの本体でもあるこの男は、彼がこれから世の中に投下しようとするものが何であるかを明確に理解していた。唯一彼が予見できなかったのは、自身が抱く大きくクレイジーなヴィジョンが世の中に受け入れられるか否かということだけ。

 ゴーストが、自分にとって最後のチャンスであったと、トビアスは認めている。彼は10代半ばよりバンドでプレイしてきたが、大きなチャンスに恵まれたことはなかった。当時彼は30歳になろうとしていて、結婚もしており双子の子供も養わなければならない状況だった。

 “2009年の時点で、俺は死に物狂いだった。翌年には親になろうとしていて、どうしてもお金が必要になるという現実に直面していて。そういったこともあって何かをやろうと決意していたんだ”

 13歳年上の兄・セバスチャンの影響で、彼は幼い頃からロックンロールに触れていた。音楽、コミック、ホラー映画といったものにおけるセバスチャンのテイストは、そのままトビアスへと受け継がれていった。セバスチャンがキッスの1977年のアルバム『ラヴ・ガン』を家に持ち帰ったとき、幼きトビアスはジャケットに描かれた鮮烈でコミック・ヒーローのようなキッスのメンバーに惹かれていく。

 “兄貴は「このレコードをお前にやろう。お前のほうが俺よりも気に入ったみたいだからな」と言って、俺にレコードをくれたんだ”

 立身のきっかけを作ったリー・ドリアンとともにプロの写真家でありアマチュア・ミュージシャンとしても活動していた父は、子供の頃にギターを教えてくれた。“俺はミュージシャンになること以外、野望を抱くことはなかった”と言い放つ。

 10代中盤になる頃にはすでにいくつかのバンドを渡り歩いており、16歳で学校を中退。それから10年間、彼はさまざまなスタイルのグループで活動をしている。反体制的なデス・メタル・バンドREQUGNANT、インディ・ロックな出で立ちのSUBVISION、オルタナティヴ・ロックのMAGNA CARTA CARTEL、そしてヘア・メタル・リバイバルのようなバンド、クラッシュダイエットにまで手を出して活動していた。“19歳から29歳の頃の俺は、ミュージシャンとしては成功から程遠い存在だった”と顔をしかめながら話す。

 2006年には自身の履歴書に新たなプロジェクトを書き連ねた。ブルー・オイスター・カルト、マーシフル・フェイト、ミスフィッツといった、彼が聴いて育ったバンドたちのレコードにインスパイアされた曲を書き始めるようになるのだ。クラシック・ロック、メタル、パンクといった要素をビッグでポップなメロディに織り交ぜる……それでいてオカルト的でアンダーグラウンドな何かが流れていたところ……前述バンドのそういったスタイルは、彼のハートを鷲づかみにしていた。

 

 ゴーストというワンマン・バンド・プロジェクトを開始させたトビアスだが、これはそもそも彼が目指してきたいくつかの音楽性のなかのひとつを追及するためのものだった。状況が変わり始めたのは2008年のある週末のことで、友人でありREQUGNANTのベーシストであるグスタフ・リンドストームとともにストックホルムのスタジオに入り、トビアスが書き上げた「プライム・ムーヴァー」、「スタンド・バイ・ヒム」、「デス・ネル」の3曲のレコーディングを行なう(※3曲とも、のちに『オーパス・エポニモウス』に収録)。

 そして、その週末が終わろうとしていた頃、ふたりはレコーディングした楽曲を聴き返していた。“あのとき初めて、自分たちが奇妙なサウンドを作っているということに気がついたんだと思う。自分たちが気に入れば、ほかの人たちにも気に入ってもらえるだろうという確信を持ったよ”

 彼は、自分が書いた曲を気に入っていたかもしれないが、それらを自ら歌うことはまったく望んでいなかった。“俺はずっとスラッシュとキース・リチャーズの大ファンだった。シンガーになるよりも、クールなギター・プレイヤーになりたいと思っていたから”

 そこで、それらの曲を歌ってみる気はないか?と、何人かの実力派シンガーにコンタクトを取る。そのなかにはキャンドルマスの元フロントマンであったメサイア・マーコリン、グランド・メイガスのヤンネ“JB”クリストファーソン、そして以前イングヴェイ・マルムスティーンのバンドで活躍したマッツ・レヴィンといった面々も含まれていた。

 しかし残念ながら彼らが参加に至ることは微塵もなかった。消極的な選択ではあったがトビアスは次第に自分でやってみるということも視野に入れ、最終的にはそうせざるを得なくなってしまう。

 彼が思い描いていたのは、カトリック教会のローブやメイクアップを身にまとったおぞましい出で立ちの男がフロントに立ち、“パパ・エメリトゥス”と名乗る司祭と対峙する悪魔的なキャラクターだった。彼はキッスやキング・ダイアモンドといったバンドを好んでいたことから、独自の解釈やひねりを込めた邪悪でオカルトなものをやりたいと考えていたのだった。

 これは大きな野望を込めた計画だったが、それと同時に家族を養いながら生活費を稼がなくてはならないという実情もあった。コンセプトの全体像が具現化しようとしていた頃、彼はまだスウェーデンの電話会社のコールセンターで働いていた。

 “俺は電話やコンピューターについて何も知らなかったし、とても馬鹿げた話だったさ”と、笑いながら続ける。“俺は単にクソみたいな仕事をマスターするスキルを手に入れていたんだ”。コールセンターの仕事をしながら、曲やコンセプトについてアイディアを固めていったトビアス。客からの電話に対応しながら、ゴーストのロゴも当時すでに思い浮かべていた。“俺はデスクに座りながら、別の人生が起こることを願っていたんだよ”

 そしてついに、彼のもとに別の人生が舞い込んできたのだ。幼い家族を養いながら、トビアスはさまざまな方向にアンテナを張り続けていた。同時に、残された時間が少なくなっていたことも理解していた。

 “2009年の終わりに向かい、俺は残された時間のなかで本腰を上げてひとつのことに集中しなければならないと感じていて。そこで動き出したゴーストは、俺が今までに行なってきたなかで最高の出来事だったね”

 

◎この続きは【メタルハマー・ジャパン Vol.5】で!