イーヴァイルはスラッシュ界の新たなスーパースターになるはずだった。
……しかし、2000年代のスラッシュ・リバイバルを牽引したのち、ギタリストのオル・ドレイクは脱退、バンドは失速する。その後紆余曲折をたどった彼らだったが、2018年オルは復帰宣言をし、本年には待望の新作『Hell Unleashed』をリリースするに至った。
シンガーとしての新たな顔も見せることになった彼が振り返る、空白の時間と次への自信。
Text by Matt Mills
Interpretation by Mirai Kawashima
全力を尽くしたけれど、一銭にもならなかくて。
>オル・ドレイク
2013年8月、オル・ドレイクは限界点に達した。大好きなスラッシュ・メタル・バンド、イーヴァイルのギタリストを14年間務め、ほかの仕事をしたことはなかった。バンドは台湾への往復20,000マイルの旅から戻ってきたところで、首都台北で行なわれた《Formoz》フェスティバルに参加するための長旅は5日間に及んでいた。まるまる1週間、友人や家族と離れて過ごしたことになる。戻って来たとき、彼らは20ポンドほど金持ちになっていた。
“すべての状況が「こんなことを続けていてもどうにもならない!」と叫んでいたよ”と、今日オルは振り返る。“全力を尽くしてはいたけど、まったく金にならなかった。「いつまで〈きちんとしたプロになれそうなバンド〉でいればいいんだ?」って”。
イーヴァイル初のアジア・ギグから1ヵ月もしないうちに、オル脱退のニュースが流れた。彼が16歳の頃から活躍を夢見た世界は、10年以上に渡る経済的な不安定によって彼をボロボロにしていたのだ。
燃え尽きた彼は、新たなパートナーであるナタリーと一緒になり、繊維の研究という新しい職を得た。のちに彼らには娘が生まれている。
これは“国民的スラッシュ・メタルの救世主”と称えられたミュージシャンのキャリアの人知れぬ終わりに思えたが、当人としては待ち望んでいたポジティブな状況の変化でもあった。“バンドを辞めて普通のことをやれて良かったよ。世界で最もつまらないことのように聞こえるかもしれないけれど”と認める。
1999年、イーヴァルとなるバンドに加入したとき、オルはまだ学生だった。兄でありフロントマンのマット・ドレイクは、学校の音楽室でドラマーのベン・カーターとジャムをしていた。そして“オルがメタリカの曲しか弾けない”という事実が、進む道を決定させる。ベーシスト、マイク・アレクサンダーを加入させると、4人はトリビュート・バンドを始める――“スラッシュ・メタルがこれ以上時代遅れになりようもない”というときにだ。ジャンルのリーダーであるメタリカやメガデスはスラッシュを捨てて久しく、デス・エンジェルやダーク・エンジェル、エクソダスといったバンドは解散していた。
“スラッシュをやっていたのはジョークだったんだよ。「メタリカ以外は聴く価値がない」って……俺たちが自分たちの曲を書かなかった理由のひとつはそれさ。無駄だと思っていたんだ。そこから曲を書き始めた理由ってのは、ギグのあとに「みんな俺たちに拍手しているけど、実際はメタリカに拍手している。自分たちの曲を書かなくちゃ!」と思ったからでさ”。
2004年になる頃には曲を書き、EPを録音していた。同じ頃、アメリカではブームが起き始めていた。アメリカには若いスラッシュ・バンドたちがいたのだ! ミュニシパル・ウェイストやトキシック・ホロコーストといったバンドたちは、ただのアンダーグラウンドのハイプ(※過剰な宣伝)ではなく、実際に[リラプス]や[イヤーエイク]といった一流レーベルと契約を交わしていた。
“ミュニシパル・ウェイストのことを聞いて、「ほかにもこういうバンドがいるなんてありがたい。これで俺たちもアホっぽく見えないな!」なんて思ったことを覚えているよ”とオルは笑う。
盛り上がりを見せるスラッシュ・リバイバルのなかで、2006年《ブラッドストック》でのセットは、イーヴァイルをイギリス一番のビッグネームにした。ショウの翌日、イヤーエイクの創始者ディグビー・ピアーソンが、彼らを拾い上げたのだ。『メタル・マスター』のプロデューサー、フレミング・ラスムッセンにデビュー・アルバムを手がけてもらえないかと冗談で尋ねると、驚いたことに答えはOK。彼らはデンマークはコペンハーゲンの[スウィート・サイレンス・スタジオ]へと飛んでいった。
“圧倒されたよ。メタリカのゴールド・ディスクが何枚もあって。『メタル・マスター』や『ライド・ザ・ライトニング』が録音された卓を通して演奏したんだ。それだけでも充分異常なのに、俺がギターをミスるとフレミングが「ジェイムズはそんなことしないぞ!」なんて言うんだからね”。
◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.7』でどうぞ