METAL HAMMER JAPAN

METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

ラム・オブ・ゴッド/ランディ・ブライズ【メタルハマー・ジャパンVol.6より】

2000年代以降の米ヘヴィメタル・シーンを切り開いてきたラム・オブ・ゴッドのフロントマンが、バンドの先頭に立つ心得、アルコールとのつき合い方、芸術家として重要な感性について論じる。

 

f:id:metalhammer:20210622160633j:plain

 

 ヴァージニア州リッチモンドにて、パンク・ロックを愛するキッズのひとりとして90年代を過ごし、“ニュー・ウェイブ・オブ・アメリカン・ヘヴィ・メタル”ムーブメントの最前線にて新世紀を迎えたランディ・ブライズは、常に敵をコーナーに追い詰めてきた。ライヴ盤『Live In Richmond,Va』をリリースしたばかりであり、ラム・オブ・ゴッドとして四半世紀以上の歴史を経た現在、燃え盛るようなエネルギーと金言を持つこのフロントマンに、彼が過ごしてきた最も暗い時間についてたずねてみた。

Translation by Tommy Morly

  

フロントマンたちは作られるものではない、生まれるものだ。

 人々はこの考えが好きじゃないかもしれないが、これは本当のことだと思っているぜ! フロントマンは生まれ持った素質だけでやるもんじゃなく、俺は今だってオーディエンスとの関わり合いや歌うことについて、もっと鍛錬を重ねていかなくちゃならないと思っているからさ。

 グレイトなフロントマンになるために必要なことって、グループの先頭に立ちたいと思う気持ちがどれだけあるかってこと、そして、どれだけバカになれるかってところなんだ。だから、それらが得意になるまで何度もくり返しやり続けてみな!

 もちろんそういった性格かどうかってのも重要で、俺はバカになるのは任せろって感じだし、まわりの人間も“コイツはそういうことをやるヤツだ”っていう目で見てきたしさ。

 

ショウの規模が大きくなったからといって、それがイイものになったかどうかは別問題。

 俺が初めて行った大きなコンサートは、ハンプトン・コロシアムで観たZZトップさ。かなりいいショウで、しかもバイク野郎たちは外で大麻を吸っていた。俺はそういうのをやったことがなくて、7年生(※中学1年生に相当)のガキにとってはかなりワイルドな経験だったね!

 あの日のコンサートはまさにビッグなアリーナ・ロック・ショウという感じだったけど、もっとパンク・ロックにのめり込んでいくようになってからは、ZZトップの何倍も......とは言わないまでも、たった5ドルあればほかにもエキサイティングなショウが観られるってことに気づいたんだ。

 若い頃の俺がインパクトを受けたライヴというと、サークル・ジャークスと7セカンズ、アグノスティック・フロントとザ・ヴァンダルス、バッド・ブレインズとリーウェイとC.O.Cで、これらを超えるライヴはまだ観たことがないね。どれも300人キャパくらいのハコだったけど、そこに行くってのは、ショウを観ること以上にあの頃興っていた完全にヤバいヤツらのコミュニティに入っていくってことだった。俺は完全にそういうヤツらの一員だったから!

 

音楽ってのはそれだけで恵みさ。

 俺らが注目を集めてファンベースを獲得し始めると、若いバンドたちがフォローしてくるようになった。俺らがまだまだ下っ端だった頃、先輩バンドについていったみたいにね。練習場所の確保について“どうやったの?”みたいなことも聞かれたし、ツアーの組み方なんかの相談も受けるようになった。

 まだまだ全然カネにならないツアーをしていた頃は、バンドがやれるってだけではしゃいでいたよ。ただ現代事情ともなると、大き過ぎて達成不可能......もはやバカみたいな目標が設定されることが多々あるようで、“バンドを組もうと思っているんだけど、音楽ビジネスで成功するためにアドバイスをくれないか?”みたいな質問を受けるようにもなった。俺としては“冗談でも言っているか!?”という感じだったよ。そんなことをゴールにすべきじゃない。 

 誤解してほしくないんだけど、音楽を作ることでクレジットの請求が払えたり、 バンドの連中と世界中を周れるのはとてもナイスなことだけど、俺らがバンドをやっているのは、音楽を作るというプロセスを愛しているからなんだ。それこそ本当の経験ってヤツだね。

 

◎この続きは【メタルハマー・ジャパン Vol.6】 でどうぞ

 

 ◎ラム・オブ・ゴッドのインタビューは【メタルハマー・ジャパン Vol.3】  でもどうぞ

f:id:metalhammer:20210630172026j:plain