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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

デイヴィッ ド・エレフソン 【メタルハマー・ジャパンVol.1より】

メガデスの名参謀が満を持して発表する、初のソロ名義作

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 昨年、デイヴ・ムステインの咽頭がんが発覚し、活動を休止していたメガデス。現在は病状も回復し、ニュー・アルバムに向けた作業も順調に進んでいるようだ。そんな新作に先立ち、もうひとりのデイヴ=デイヴィッド・エレフソンが初となるソロ・アルバム『スリーピング・ジャイアンツ』をリリース。そのフットワークの軽さで、これまでさまざまなプロジェクトを遂行してきたデイヴィッド。このソロ作には、メガデスのアルバム作りにもつながる彼のミュージシャンシップが詰まっていた。

取材:岡見高秀 通訳:トミー・モーリー

 

メガデスでの最初の18年は、
とにかくすべてを捧げる必要があった。

――本日はイギリスにいらっしゃるそうで、日々忙しく活動されていますね!

 すでにいくつかのライヴをプレイしていてね。去年の6月に執筆した本『More Life with Deth』のフランス版が4月に出るので、そのプロモーションのために昨日はひとりパリに残っていたんだ。今日はイギリスのカーディフでライヴだけど、明日はロンドンのウェンブリー・アリーナでプレイして、そのあとはヨーロッパ本土に戻って3週間のツアーが待っている。去年はデイヴ(ムステイン)の体調の問題もあったからいつ活動再開できるのか不安もあったけど、見事な復活のおかげでツアーのカップリング相手(バッド・ウルヴスとファイヴ・フィンガー・デス・パンチ)目当ての新しいオーディエンスたちの前でいいライヴを披露しているよ。

――日本にもメガデスのレコーディング情報は入ってきていますが、進捗はいかがですか?

 このツアーのあと、3月にはスタジオに戻って作業を終わらせる予定さ。この春はとにかくアルバム作業に集中するつもりで、ちょっとずつ情報を出していくことになるだろうね(笑)。

――また、あなた個人としては、昨年行なわれたK.K.ダウニング(ジューダス・プリーストの元ギタリスト)とのコラボレーション・ライヴ“メガ・プリースト”も、大きな話題になりました。日本での実現はなかなかに難しそうですが……。

 少なくとも直近では実現しないだろうね。俺とK.K.のつき合いは長くって、彼が関係する会場でサイン会をしたいと相談したことから始まったんだ。それがいつの間にかフル・サイズの“メガ・プリーストなライヴ”をやろうという話になってね(笑)。俺らは同じような考え方を持っていて、常に新しくておもしろいものを作り出そうとしている。

――確かに。

 個人的に興味深かったのは、レス・ビンクス(ジューダス・プリーストの元ドラマー)とK.K.が『イン・ジ・イースト』(ジューダス・プリースト/1979年)以来、初めて一緒にプレイするということ。このアルバムはひとりのファン、ミュージシャンとして大きな影響を受けたし、俺が十代の頃に初めて聴いたイギリスのヘヴィメタル・アルバムでもある。俺とティム・リッパー・オーウェンズ(ジューダス・プリーストの元シンガー)は過去にプレイしたことがあるし、家族が久々に集まったような雰囲気だったよ。ジューダス・プリーストに関わった家族が再び一堂に会する場所に立ち会うことができて、思い出深い出来事となったね。

――そういったジョイント、ワーウィック・ベース・キャンプの講師、執筆……など、多岐にわたる活動があなたのミュージシャンとしての才能をより高めているんでしょうね。

 そうだと思うよ。1983年から2002年までの18年間、俺はメガデス以外のことはしてこなかった。唯一行なってきたソロ的な仕事は、1990年代初頭にフロットサム・アンド・ジェットサムと共作した「Date with Hate」(『クワトロ』ボーナス・トラック/ 1992年)くらいなものさ。そのほかは『ロック・ビジネス経済学(MakingMusic Your Business: A Guide for YoungMusicians)』という本を書いたくらいだった。メガデスの最初の18年間はとにかくすべてを捧げる必要があったので、ほかのことをする余裕なんてほとんどなかったよ。しかし2002年の解散から最近まで、ミュージシャン、アーティスト、作家としての第二の人生を歩むことになってね。ひとりの大人として生き方そのものが変わったな。アーティスト、ソングライター、そしてバンドのサイドマンとして活動することで、ミュージシャンとして成長を重ねることができた。おかげでさまざまなシチュエーションに対応できるようになったよ。俺はゼロから何かを作るのが好きで、特に音楽やそのビジネスについての起業家精神がいつもあったから。

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55歳の今、やっと自分で
音楽を作る機会を得たと思っている。

――メガデスでの活動を主軸にしつつ、これまでさまざまなプロジェクト、バンドに関わってきました。近年も“メタル・アリージェンス”や“アルティチューズ&アティチュード”など、あなたが主軸の活動はありましたが、今作『スリーピング・ジャイアンツ』は自身の名前でのリリースとなりました。この名義にした理由は?

 2005年にピーヴィーのA&Rの仕事を依頼され、ニッケルバックのマイク・クルーガー(b)を担当してね。その際のマネージャーがF5の契約を手伝ってくれたんだけど、そこでソロ名義にするか相談したら“ソロ名義でやるってことは、成功か失敗の1度きりのチャンスだから気をつけろ”と助言されて、そのときは保留した。長年チャンスをうかがい続け、経験も踏まえて今回のアルバムで初めて自分の名前を使うことにした。“メガデスを離れてソロになったんだ”と思われたくなかったから、相当注意してきたよ。偶然にも去年1年間はオジー・オズボーンとのツアーが延期になり、その直後にデイヴががんの治療を受けることとなった。そこで『More Lifewith Deth』を発表し、それに付随する形でアルバムをリリースするという機会が巡ってきたんだ。

――なるほど。

 こうやって日本やアジアに向けてリリースできたことを嬉しく思っているよ。アジアはメタルやロックが成長し続けているマーケットで、メガデスにとってはとても大切な領域だ。日本は今まで俺がやってきた活動を、初来日した1987年からずっとサポートしてきてくれた国だしね。メガデスで36年間やってきた55歳の今、やっと自分で音楽を作って活動する機会を得たと思っている。いろいろな意味で機も熟したんじゃないかな。20年前だったらまだ早過ぎたくらいに思っているさ。

――実作業として、個人名となると役割も多くなるのでは? もしくは、あくまでも個人名がついたバンドという認識?

 自分のプロジェクトという気持ちが強いけど、ビジネス上の相棒でもあるトム・ハザート(vo)は俺の創作の完全なるパートナーさ。マネージャーやA&Rとしての感覚も鋭く、かなり頼りになるんだ。俺は作曲もするし、このプロジェクトで一番有名なのもわかっているが、セルフ・マネージメントやセルフ・プロデュースは得意じゃない。むしろ誰かとコラボレーションすることを楽しんでいて、音楽はオーディエンス、コラボレーター、バンドと共有するものだと思っている。だからこのアルバムは、“デイヴィッド・エレフソンという男がコミュニティのなかでうまくプレイしている”ことを示していると思うな(笑)。

……続きは『メタルハマー・ジャパンVol.1』にて。ベースについての談話も是非チェックしてください。

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