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リー・ドリアン、ブラック・サバスを語る

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『METAL HAMMEAR JAPAN Vol.4』でのブラック・サバス『パラノイド』特集にて、[英式闇滅低音を継ぐ男 リー・ドリアンの『パラノイド』考察]としてサバス&同作への冷静な分析と情熱的な愛情を語ってくれたリー・ドリアン。ここでは、本篇には収まりきらなかったサバス・トークをおかわり公開!

Translation by Mirai Kawashima Photo by Masayuki Noda 

※インタビューの本篇は、12月16日発売の『メタルハマー・ジャパンVol.4』にて

 

◎リー・ドリアン、オジー後期アルバムを語る

 『サボタージュ』(1975年)や『テクニカル・エクスタシー』(1976年)も好きだよ。オジー期のアルバムは全部好き。『テクニカル・エクスタシー』なんて、なぜかわからないけど最も過小評価されている作品だと思わないか? 曲も素晴らしいし、トニー・アイオミのギター・プレイとして最高だし、オジーの歌も素晴らしい。「ユー・ウォント・チェンジ・ミー」は大好きだし、「ムーヴィング・パーツ」もいい。「きたない女」なんて、サバス史上最もヘヴィなリフのひとつなんじゃないかな。

 『サボタージュ』は彼らの目指していた方向性の頂点だとも思う。ひとつ前の『血まみれの安息日(1973年)もそうだけど、さまざまな楽器が重ねられていて、『マスター・オブ・リアリティ』(1971年)とかと比べてもとても音楽的で作り込まれたアルバムになっている(笑)。そしてそれがうまくいっているんだよ。「ホール・イン・ザ・スカイ」で始まって、「悪魔のしるし」もある。「悪魔のしるし」は人類が知る最もヘヴィな曲だからね(笑)。「誇大妄想狂」は少し違った方向性で、オジーのヴォーカルもいいよね。「スリル・オブ・イット・オール」は70年代中盤らしいロックの曲だけど、このレコードには不安や狂気を感じさせるヴァイブがあって、ノイローゼみたいなテーマも含まれている。「発狂」も入っているし、「リット~ブロウ・オン・ア・ジャグ」はとても暗い曲だし。何か理由があったんだろうね。

 『サボタージュ』はデビューから5年後に出たアルバムだろ。5年間休むことなくドラッグをやりまくってツアーをしまくって。それでもまだ正気でいられたというのが信じられないよ。さらにこんな素晴らしいアルバムを作って。多くのバンドは脳が疲れきってしまって、いい作品が作れなくなったというのにさ。

 

◎リー・ドリアン、オジー以外の歴代シンガーを語る

 基本的にみんな好きだよ。大ファンだとは言わないけれど。『悪魔の落とし子』(1983年)なんかは素晴らしいアルバムだよね。イアン・ギランのヴォーカルもいいし、クラッシャーが手がけたジャケットも最高だ(笑)。サバスの作品なのかは微妙だけれど……まぁ、もちろんサバスのアルバムではあるんだけど。とてもユニークな作品だよね。「ゼロ・ザ・ヒーロー」、「邪神」、「トラッシュド」なんかは曲がいいし、ギター・トーンやアルバムの音質も最高。このアルバムはギミックだって笑う人も多いけれど、俺にとっては素晴らしい作品さ。

 トニー・マーティンは『エターナル・アイドル』(1987年)が一番いい。おそらくヴォーカル・ラインはレイ・ギランが考えたもので、トニーはすでにあったメロディ、歌詞を歌っただけだと思うけど。『ヘッドレス・クロス』(1989年)は最高のカムバック・レコードだと思う。ファンの反応の良さという点では、『悪魔の落とし子』以来だったんじゃないかな。『ヘッドレス・クロス』あたりから、またみんなサバスのレコードを買うようになったんだ。『ティール』(1990年)は悪くはないけど、正直プロダクションが最悪。

 そしてディオが復帰して『ディヒューマナイザー』(1992年)か。あのアルバムは素晴らしいと思うよ。とてもエネルギッシュでフレッシュだった。あの頃はいつもアメリカに行ったりで残念ながらあのツアーは観られなかったけど、「アフター・オール」や「トゥー・レイト」なんかは大好きだったよ。1994年に『クロス・パーパシス』が出たときは、一緒にフル・ヨーロッパ・ツアーをしたんだよ。あのアルバムは、サウンド的には多少『悪魔の掟』っぽかったと思う。その次は何だったっけ? 『フォービドゥン』?(1995年) 誰かラッパーがプロデュースしたんだよね。アイス-Tじゃなくて、誰だっけ……名前が思い出せないけど、あれはやりすぎだと思ったな(※プロデュースはアーニー・C/ボディ・カウントのギタリスト)。

 

◎リー・ドリアン、ブラック・サバスとのツアーの思い出を語る

 『カーニヴァル・ビザール』(1995年)の1年前にツアーをしたんだけど、トニーとはとても気があってほとんど毎日一緒にいたよね。毎晩俺とギャズ(ギャリー・ジェニングス)をアフター・ショウのパーティにも招待してくれて。トニーは退屈すると俺とギャズのところにやって、そうすると俺たちはアルバムのレコーディングのテクニックや使っているギターの弦、エフェクターなんかについて質問したり、何時間も話をしたよ。

 ツアーの途中、トニーの奥さん……当時はガール・フレンドだったかな……がやってきたんだ。カレーを食べにいったら、そこに彼が奥さんと一緒にいてさ。奥さんとはもう何週間も会っていなかったってのに、トニーは奥さんを置いたまま俺たちの席にやってきて“ビールでも飲むかい?”だって。それでビールをおごってくれたんだけど、奥さんを放っておいたまま俺とギャズと喋り続けてさ(笑)。奥さんはたったひとりでテーブルに取り残されて……わざわざトニーに会いに飛行機でやって来たのに。そのくらい彼とは馬が合ったんだよ。

 次の俺たちのアルバムにトニーが参加してくれたら素晴らしいと思っていてさ、彼のほうも“ぜひやろう”と。だけど俺たちの知る限り、トニーがゲスト参加した作品というのは、彼がプロデュースしたNecromandusのLP(『Orexis of Death』1973年)とQuartzだけだったんじゃないかな。それで1年くらいあとにマネージャーにその話を伝え、トニーのマネージャーに連絡をしてもらったら“ぜひやろう、スタジオに行くよ”と言ってくれて。バーミンガムにあるスタジオで、バッキング・トラックをレコーディングしたんだけど、おもしろいことに、そのスタジオは俺がナパーム・デス時代、初めてトニー・アイオミ本人を目撃した場所の近くだったんだ。バーミンガムのメタル・シーンでは有名な[リッチ・ビッチ]というスタジオで、リハーサルもレコーディングもできて、ブラック・サバスも以前そこでリハーサルをやっていたんだ。

 かつては[Zellaスタジオ]という名前だったな。ナパーム・デスが少し有名になって、1988年頃はそこでリハーサルをするようになったんだけど、そのときにバーでトニー・アイオミとコージー・パウエルがコーヒーを飲んでいるのに遭遇したんだ。“ファック! トニー・アイオミがいるぞ!”って、口をあんぐりと開けて立ちすくんでしまったよ(笑)。俺は壁際に立っていたんだけど、トニーがトイレから出てきたときに“やあ”と言われて、“トニー・アイオミに話しかけられたぞ!”って(笑)。

 それはともかく、1995年にその同じスタジオに彼はやってきたんだ。彼はバーミンガム付近に住んでいたからね。そして例のカフェで話をしたんだけど、彼はちょうど引っ越しの最中で、さらに3日後にはツアーに行くんだと。荷物も多いだろうから引っ越しも大掛かりだろうし、3日後にはアメリカに行かなくてはいけないというのに、俺たちのために時間を作ってくれたんだ。12テイクくらいギター・ソロを録ってくれて、“(バーミンガム訛りで)さあみんな、いいテイクを選んでくれ”と。それで曲を聴き直しているときには、俺のヴォーカルに向かって“ここは少しオジーっぽいね”なんて言ってくれて。トニー・アイオミにオジーっぽいって言われたワケだからさ(笑)……本当にクールでフレンドリーで、まるで月にいるような気分だったよ。最高に名誉なことさ。

 ※インタビューの本篇は、12月16日発売の『メタルハマー・ジャパンVol.4』にて